大衆化した気球に

 

かつて学芸大にあった気球部は、FEBCに所属する広井先生という方が学生を巻き込んで始めたものらしい。それはそれで学芸大らしいエピソードであり、なんだか少し残念でもある。

 

他方で、それは気球が大衆化していく過程でもあった。つまり、1969年に日本で始めて熱気球が飛んで以来、アドベンチャーとして気球は行われた。各地の冒険部や探検部などによってそれは行われ、そのなかでも広井先生が所属していたFEBC(Far East Balloon Club)は、日本の気球界をまさに作ってきた。イギリスに行って熱気球パイロットのライセンスを取得したり、日本熱気球連盟を作ったり。そのようなエピソードが書かれた自伝本があり、そこに詳しい。ただ、これを読むとでてくるのは、エリートやお金持ちなどが多いことに気づく。なんだか辟易するものの、彼らの尋常ではない行動力によっていまの日本の気球はあることにも気づかざるをえない。

 

そのような時代が1970年代だとして、1980年代からは気球は大衆化しはじめる。学芸大の気球プロジェクトも1982年である。またその年には関東学生気球連合というのが結成され、冊子が作られている。それを読むと当時の関東にある学生気球クラブの状況が伺い知れる。上智、静岡、千葉、筑波、東京学芸、東京都立、東京理科、東北、武蔵野美術、横浜国立、立教、和光、早稲田という13のクラブが紹介されている。この他にも茨城大、中央大などがいたはずだろう。70年代とは違い、気球を自作することのマニュアルがある程度できている頃だろう。学芸大に気球クラブができるというのはこの流れに属するものと考えてよいだろう。

 

その後、90年代くらいまでは学生クラブというのが多くいたのではないか。いまではその多くは消滅してしまっている。関東に残るのは、首都大と茨城大のみであった。最近学芸大が復活し、3つになるが。どこも継続が課題になっている。

 

また現在、気球は地域の活性化として着目されてきている。佐賀のバルーンフェスタはいまや佐賀で最大のイベントになっている。また、それに伴い、企業のコマーシャルとして利用されている。それは気球にとっては追い風であり、気球を新たに始めることのハードルは低い(低いから注目されているのだが)。かつてのアドベンチャーという性質はかぎりなく薄くなっている。

 

これをどう評価するべきか。かつての気球活動は貴族的で、冒険志向、いまは庶民的、競技志向であるとして。もちろん、後者と前者に完全に分けられるわけではなく、前者を前提にするように、その残り香を後者にも感じることはできる。自分は気球のなにが面白いのか。

 

再来週には琵琶湖横断大会がある。