最近、離婚という言葉がちらつく。

もともと結婚に対して何も希望は抱いてなかったし、子どもを育てるのは面白いかなというくらいの認識で結婚した身である。

向こうの安定したステータスへの依頼心もあった。

 

ただ、子どもが生まれてより相方の指図やわがままがひどく、辛いものになってきた。

性格的にはわがままであることはこれまでと変わらないのだが、そのわがままを通すくらいにぼくへの敬意がなくなってきたということなのかもしれない。

 

しかし、それは仕方ない。ぼくも敬意などとっくになくなっているからだ。

 

最近は仲良く会話する日の方が少ない気もする。相方がたまに寝不足ではない日は機嫌は良いが、それ以外はクソみたいな人間になる。

 

この機嫌取りをこれからも続けていくのかと思うとややうんざりする。

 

結婚したのは間違いだったのか。

これまでも考えることはあったが、楽天家ゆえ「まあ、なんでもいいか」と思っていたけれど、いまは少し間違いだったかなと思い始めている。

 

ここ半年くらいぼくは死んでいる。

 

わたしはどう生きるか

久しぶりに熱気球のローカル大会に行ってきた。美味しいローカルフードやパーティ、バーナーも握れたので満足ではあったのだが…。

 

どうも気分は最後まで盛り上がりきらなかった。チームのみんなが盛り上がれば上がるほど、冷静になっていく自分がいた。それ自体はいつものことなのだが、冷静になる人間がひとりしかいないと孤独を感じることになる。

 

これはノリの問題なのかもしれない。今回お邪魔したチームでは写真を撮りあったり、お互いを「かわいい」と褒めあったり、過度に楽しそうに見せようとしている(広義の映えとも言える)人たちが一部おり、そのような言動にのっかることができないわたしは、むしろ白けてしまうのだ。

 

本当に興奮したり、楽しいときは「映え」なんて気にしなくなるのでは、と思ったりもする。

 

たしかにそのような人間たちはチームの一部である。ただ、そういうノリで全てが滑稽になってしまうのが悲しい。人目を気にする(あるいはあえて気にしない)文化だ。

 

ただ、やはり少し時間が経つと自分の反省点も見えてくる。もっと自分の感情を言葉にした方がよかったなとか、もっと周りの人に興味ある感を出した方がよかったかなとか、そういう器用さがあればよかったなと。訓練が必要である。ただ、やはり本当にどうでも良いとしか感じない。困ったものだ。

 

自分はどう生きるべきか、そんな古来からある問いをふと思い出した。

 

 

ポイントオブノーリターン

ポイントオブノーリターンとは

回帰不能点。エコ界隈では、どんな対策を行なっても温暖化が不可逆に進行し続けるようになる境界点のことを指す。

 

男性の育児休暇の回帰不能点はどこだろうか。育休の機関によってキャリア継続ができるかできないかの境界はあるのだろうか。わたしはすでに一年間の育児休暇を取得しており、これを延長するかを悩んでいるのだ。

 

これはなんの根拠もないが、男性の育休は取得されるようになってきたとはいえ、数週間を分割して取得するとかが一般的で、長くても1-3ヶ月くらいじゃないかと感じている。

わたしはすでに一年間取得したことで、会社内でのキャリアは停滞する可能性が高い。それでも昨今の風潮を背景にして良いふうに理解してくれてることもあるので、復帰には問題ないだろうと予想している。

だが、それが一年延長になったらどうだろうか。保育園に入れませんでしたという役所からの通知を2回も転送することになる。「本当か?」という疑いの視線に耐えながら生きることになるのだ。

 

いやまあ、どうせ辞める会社だと考えれば別に良いのだが、なんとなく気が進まないところがある。意図的に空気の読めない人間になることはこれまでも何度もあったが、少し規模が大きくなるというのが悩める原因だろう。

会社のキャリアの捨てるということは、これまでなんとなく維持してきた普通の道と決別することだろう。普通の道なんてないし、こんなふうに書くと大したことない気がしてくるが。

 

自分が何に恐れているのか、なんとなくわかってきた。そろそろ先延ばしにするのをやめなくてはならないし、やめてもいい頃なんだと思う。

 

親になること

「シスター」という中国の映画を見ていた。

一人っ子政策による社会の歪み、それに人生を左右される女性たちを描いている。

相方と一緒に見ていたが、相方は携帯を見つつ、友人と出産祝いについて話しているようだった。

途中相方は、出産祝いの鼻水吸引機の色は何がいいか、名前スタンプについてくるインクかシールはどれがいいかなどを聞いてきて、心底どうでもいいと感じた。今それを聞くのかと憤りそうになったが、すでにもう向こうの方が怒り気味だったので、思いとどまった。

インクではなくシールにした。

これがひとと生きていくということだと思う。

いずれにしてもシスターは素晴らしい映画だった。心を揺さぶられる。

 

ぼくも第二子ということで放任?愛があまり与えられず?に育った気がする(実際はどうかわからないが主観的な感覚として)。

初めて小学校に通うとき、なにを準備したらいいかわからず誰にも助けてもらえず焦ったのを強く印象として残っている(結局忘れ物が多い児童になった)。また小学校中学年くらいまで髪を洗うのが好きではなく、とくに強制されないのでいつまて洗わずにテカテカと輝いていた(これは兄も同様だったが)。ほかにも体操着は週に1回持ち帰るかどうかだったりもしたし、一年中半袖半ズボンの不潔で季節感のない児童だった。

それゆえかわからないが、割と希死念慮は強かった。毎日が同じように感じ、これがあと何年も続くのかと思うと耐えられなかった。季節感がないからこうなる。日常の生活の中にある面白さや発見、そうしたものを教えてくれたらよかった。なにもなく、物語もなく、ただただ生きてきた。いまでも何かを物語ることは大変苦手だ。   

ただ、いつかは大人になる。社会人のフリも上手になる。

それでも親から離れた場所にいつつ、優しくしてしまうのはいまでも愛されたいと思っているからなのかもしれない。そんな子どもな自分に気づく。

 

 

2014年フランス旅行

フランス10日目 最終日


今日は兄が世界選手権のためにヴィシーに発ち、僕と妹は東京に帰る。朝ごはんは一緒にとり、兄は11時にホテルを出た。是非がんばってほしい。他の日本代表の若者たちとうまくやればよいのだが。

僕と妹は21時の飛行機まで暇なので、最後のパリ観光に出る。自転車でバスティーユまで行き、そこから歩きでマレ地区の手前まで行き、そこからセーヌ川沿いに歩き、シテ島の先端にたどり着く。そこに座って行き来する遊覧船を眺めていた。周りにはカップルや昼ごはんを食べに来ているスーツの人などがいた。笹の葉舟にも飽きたところで、ポンヌフを渡り、パッサージュというパリのアーケード街を目指す。色々道を間違えたりしたが、パッサージュをいくつか巡った。とくに何も買わなかった。最後のパッサージュは日本人街的のところにあり、日本語をよく見た。日本人街は本当に日本食の店ばかりだし、道ゆく人もアジア系が多かった。このとき、3時近くだったのでお腹が空いていた。ナシオン駅まで地下鉄に乗り帰る。そこで、近くの大きなカフェに入る。巴里での最後の食事だ。僕は羊肉のステーキを頼む、妹はキャベツの酸っぱいやつの上にサラミやらソーセージやらの肉類がごちゃっと乗っているやつだった。面白かったが、なかなかに食べるのが大変そうだった。しかし、どれもうまかった。かなりお腹いっぱいになりつつ完食し、デザートも頼む。僕のはクレープでオレンジピールが入った甘いシロップに浸してあり、それが熱々のフライパンに乗ってやってくる。それで店員が目の前でブランデー的なのに火をつけ、青い炎がゆらゆらしている状態でふりかけ、かおりをつけ、皿にサーブするのだ。すごかった。うまかった。日本のクレープのなんと単純なことか。妹のはりんごのタルトにホイップクリームが添えてあった。普通にうまい。食べ終わり、ホテルに戻り、預けてあったスーツケースを受け取り、タクシーを呼んでもらう。この一連の作業のための英語がままならない感じに焦りを感じた。これまでの英語教育はなんだったのだろう。イエスとプリーズしか出てこない。

タクシーに乗る。道は混んでいた。とても眠たくてゆうりちゃん共々寝てしまった。はじめ勘でターミナル2に行くように言ったが、行ってみると、ANAはターミナル1だった。タクシーには悪いことをした。というか料金がちょっとかかった。

シャルルドゴール空港で様々な手続きを済ませる。ANAの窓口には日本人だらけであった。免税ショップで持っているユーロと大体同じ金額で葉巻が売っていたので買ってしまった。3本入りなので、友人たちへのお土産にしようと思う。

その後、搭乗口で二時間近く待っていた。そして飛行機に乗り込む。三列席で窓際にはおっさんがいた。外がなにも見えやしない。

 

フランス旅行総括


物語るために総括する。

まず、この旅行は兄妹三人によるものだが、ただ、行くとなってもなかなか計画は決まらなかった。兄貴は特に観光に興味はなく、僕も観光よりもフランスという国に触れることを考えていた。結果、妹がホテルやら計画やらを考えてくれ、10日間のパリ観光が決まったのだ。

兄妹三人の旅行は初めてだった。結果的には何事もなくうまくいったが、なにかというと兄貴2人で妹を馬鹿にしてしまう傾向があったように思う。特に兄妹旅行したからといって特別に何かがあったわけではない。普通に仲良くやっていた。それは表面的であったのかもしれないが。ただ、旅行して思ったのは、やはりこの3人の構造はあまり変わらないんだなということ。妹対兄、弟対兄。

そして、パリ観光である。一番の思い出はなんだろうか、別に一番とか考えなくてもいいのだが、物語的には重要だ。やはりヴェルサイユ宮殿の庭園で昼飯を食べ、ワインを飲んだことだろうか。あるいは、ホテルでの料理。あるいは、パリの街を自転車で駆け抜けた感じ。あるいは、観光客をかもにしようとする軽犯罪者たちとの触れ合い。どれもが思い出になる。

ルーブルもオルセーもオランジェリーも凱旋門エッフェル塔ノートルダムもカタコンブも、全て色々考えさせられて面白かったし、美しかった。ただ、どうしても観るという行為になってしまう。観るという行為の中で主体と客体が真に出会うことは難しい。それなりの準備を見る方がしてなくてはならないだろう。ちと僕には足りなかった。ミロのヴィーナスの前に立っても、いいお尻してるなあとしか思わなかった。全体的にエロチックなことにしか興味が向いてなかった。だからこそエロチズム博物館なんかに行ったのだが。エロチズム博物館も熱海の秘宝館もそうだが、旅とエロは簡単に結びつく。

 

2014年フランス旅行

ランス7日目


いま、アメリを三人で見ている。今日はかなりゆっくり起きて、11時のギリギリまで朝ごはんを食べていた。そのあと、ギャラリーラファイエットに向かう。ナシオン駅から一本である。もうメトロにはなれた。だから降りるときにハンドルも回すし、止まらないうちに降りることもできるのだ。

ラファイエットに着くと、昨日とは違ってかなり人がいた。中に入るとさらに人が。ラファイエットはデパートだが、三越のようなただの百貨店とは違う。歴史ある百貨店なのだ。だから中央にはドームがあり、美しい壮麗なステンドグラスで彩られている。

その下には化粧品や香水が並ぶ。シャネル、ディオールカルティエ、色々ある。匂いがすごい。とりあえず、エスカレーターで最上階近くにいく。そこはレストランとお土産屋さんと本屋があった。そこで子供向けのアルファベットを覚える学習ポスターを買った。兄は気球の絵が書いてある紙を買っていた。妹には赤いベレー帽を買うように2人で強くすすめたが、結局買わなかった。その後、屋上にも上がれたが、雨が降っていた。エッフェル塔がかすんで見えていい感じだった。両足が切断されて、うまく飛べない鳩がいた。

その後、ラファイエットの別館に行く。紳士服と食料品がある。食料品は日本のデパートと同じようにとても美味しそうに売られている。僕はサラミとオイルサーディンとフォアグラを買った。つよしくんはフォアグラとお茶っ葉を買っていた。いい買い物をしたように思う。その後わかったことだが、サラミなどの肉製品は日本に持ち込めないらしい。2本も買ってしまった。

ラファイエットを後にし、今度は妹が行きたかったホテルドゥビィラ近くの雑貨屋的な食器屋さんに行った。妹はそこでトマト用のナイフを買っていた。そして、近くのモノプリというスーパーでお買い物した。妹はかばんを買っていた。地下の食料品のとこで、実に色々かった。マッシュルームやよくわからないかぶのようなもの、ラディッシュ、マッチェ、サラダなど、ソーセージ、オイルサーディン、肉の塊、ワイン、バルサミコ酢などなど。よく買った。地下鉄で帰った。

ホテルに帰って、調理をはじめる。兄が先頭に立つ。妹はあまり参加しなかった。まず買ってきたよくわからない野菜を刻み、スープの素と一緒に煮込んだ。普通にうまかった。同時にサラダもバルサミコ酢とオリーブオイルであえた。うまかった。次にラディッシュとマッシュルームを炒めて、でも途中から煮込んだ。ただ煮て、塩コショウしただけだったが、これはうまかった。普通にスープだった。

次に、お肉の塊を焼く。すごい厚さだ。鍋でふたをして、オーブンのようにする。とりあえず焼いて、食べてみた。レアって感じ。うまかった!肉の味しかしない!柔らかい!ただ、筋だけは噛み切るのが大変だった。半分くらい食べて、残りをミディアムくらいに焼いてみた。これもまたうまかった。同時にソーセージも焼く。これもまた焼くのに時間がかかった。しかし、かなりうまい。ビールが欲しい。そして、パスタも茹でて、ペペロンチーノにする。これにマッチェをちらす。うまかった。かなりお腹いっぱいになった。そのあと、アメリを観ながらちょっと残ったワインを飲み干した。太りそう。

明日はモンサンミッシェルで早く起きねば。

 

 

フランス8日目

 

今日はモンサンミッシェルのオプショナルツアーに申し込んである。早朝6時45分にパレロワイヤル駅の近くに集合なので、朝ごはんを食べる暇もなく出かけた。

メトロで行く予定だったが、なんとなくヴェリブで向かうことに。昨日の雨で濡れたパリの街は美しかったが、とても風が冷たく寒かった。20分くらいで着く。お店はまだ開いていないのでなにも食べず、集合場所の事務所に向かう。中に入るとすでに日本人たちが幾人かいた。トイレにいって戻ってくるとさらに増えていた。出発である。

バスは二階建て、僕たちは二階の中央後方よりに座った。階段が手前にあるので開放的で窓がよく見えるのである。朝早かったので眠った。途中サービスエリアに寄る。ガイドさんがトイレは混むことは執拗に説明するので、みんなトイレに向かい、結果予言は当たった。僕はそのサービスエリアでレインコートみたいなコートを買った。39ユーロ也。モンサンミッシェルで雨が降ったときのためでもあるし、普通に良さげだったからだ。

サービスエリアを出て、また30分くらいはしると、ブブロン村というフランス有数の美しい村と呼ばれるところに行く。その小さな村は確かに美しかった。村を小川が流れ、入り口には小さな教会が。村の中心にはレストランがあった。40分程度の立ち寄りだったが、僕たちは林檎酒とブブロンという村名物のお菓子を買って食べた。シードルという林檎酒はまるでワインのような、草原のようなそういう風味であった。林檎酒という名のような甘いものではなかった。シードルである。

バスはまた2時間程度走り続け、そのうち一時間はガイドさんが観光上の注意点をながながと話していた。多くの人が寝ていた。だが、その注意点の細やかさにはやはり日本人なんだなと感じざるをえなかった。そして私は日本人のそういうところが嫌いであり、好きである。

遠くなモンサンミッシェルが見えてきた。確かに岩山にごちゃごちゃ建物がついている。あたりにはなにもない。草原とヤギと牛だけである。モンサンミッシェルの対岸にはホテルなどが立ち並んでいた。他にもキャンプ場などがあり、自転車で来る人も少ないことがわかる。バスを降りると昼ごはんを食べる。モンサンミッシェル名物オムレツとのことだ。席に着くとすでにサラダが用意されている。テーブルの真ん中にはパンとバターがあった。バターはこの地方の名産らしい。サラダは簡単なもので、やはりツアーだなと感じた。一度に40人分近い量のコースを作るのは面倒だし、適当になるのだ。チラシにはフルコースとあったが、実際はサラダ、オムレツ、デザートだけである。オムレツは店員が大きな皿に大きなオムレツを持ってきて、それを適当に四等分して自分の皿にサーブしてくれるのだが、もちろん適当なので量には差がでる。僕のは少なかった。少なくなかったのかもしれないが、そう見えたし、すぐ食べ終わってしまった。モンサンミッシェル名物のオムレツはかなりフワフワで、むしろ泡だった。食べた感じがしない。コショウかけて食べるとまあ、卵って感じになる。そんなうまいもんじゃなかった。一緒についてきたポテトをむしゃむしゃ食べた。デザートはりんごのタルトのうえにアイスクリームが乗ったもので、まあ、普通にうまかったけど、なんか手抜き感があるのだ。かつてのイタリアツアーを僕は思い出していた。

デザートを食べると、2時間ちょっと自由時間があら。モンサンミッシェルの島へいくシャトルバスに乗った。バスが通る道と歩く人が通る道とは分かれていた。歩いて島に渡ると40分ほどかかるらしかった。シャトルバスは島の手前で止まる。そこから歩いて島に入る。近くでみると大きい。これは確かに要塞である。百年戦争で活躍したはずだ。僕たちは行きはお土産屋さんをあまり通らないで急な階段など登って行った。疲れるルートだ。しかし、修道院の入り口にすぐたどり着けた。渡されていたチケットで中に入る。いい雰囲気である。やはり戦うためな仕掛けなどがあり、マスターキートンを思い出した。美しい青空が城壁の向こうに見える。中に入ると荘厳な雰囲気だ。ここでどのような人たちがどのような言葉を交わしたのだろうか。ロマンである。修道院の中は意外に広く、食堂や中庭、礼拝堂などを巡った。荷物を持ち上げるための滑車と歯車、荷台が置いてあり、かつては巨大な歯車を囚人たちが動かし、巨大なそりで荷物をうえまであげたようだった。修道院の独特の雰囲気を楽しんだ。そのあとは一時間以上あったので、ゆっくりお土産ものをみながら、郵便局で日本にいる友人に手紙を出した。オルセー美術館で出会った絵葉書だ。若者と老人が荒野の中で朝日を拝んでいる様子だ。神秘的で力強く、希望を感じる絵であった。メッセージには「外に出て、朝日を見なければ!」と書いた。何か伝わればいいなと思う。兄弟三人とも手紙を書いた。兄は長文だったのでおそるく彼女だろう。妹は美大のお友達らしい。

本当はオムレツじゃなくて、海の幸を食べたかったが、時間がなく断念する。帰りのバスは混み混みであった。10分ほど早く着いたので、スーパーでスープの素とお菓子、バケットを買った。夜ご飯かな。

バスがパレロワイヤルに着いたのは9時近く。我々は10時までやってるというスーパーに向かった。そしてその隣に日本料理屋さんを見つけた。疲れていた私たちはふらふらと入っていった。味噌ラーメンと野菜ラーメン、中華丼に焼きそばを頼んだ。どれも味が濃くて、中華丼とかはうまかった。野菜ラーメンはただのしょっぱくてニンニクがきついスープパスタであった。別にまずくはないが。味噌ラーメンも同様で、ニンニクがきつい。あと麺がパスタっぽい。もちもちではなく、つるっとしてて、こしがなく、プルっとした感じだ。焼きそばは普通に焼きそばだった。量が多く、三人でなんとか食べた。ニンニクがきついのである。

そのあと、フランプリでワインとサラダを買って帰った。終わり。明日が最後の晩餐となる。

 

 

 

2014年フランス旅行

フランス5日目

 


日記を書き忘れたので、昨日を思い出しながら書く。この日は起きて、ご飯食べて、兄はホテルで寝てるということで、妹と回ることになった。

まずは、ナシオン駅から北上し、サクレクール寺院に行く。最寄りの地下鉄を出るとそこはもう観光地、人がわんさかいた。丘の上にあるので、坂を登って行く。ここらあたりは服屋が多いようだ。パリは地区によって特色がある。丘への階段は、あの映画アメリに出てきたものと同じだ。ただ観光客が多い。そして、それを狙った黒人も多い。腕を掴まれた。フランスにふれた気がする。旅の本質とはなんだろうか。その地に触れることか、たのしむことか、変わることか。

丘の上までくると、景色はなかなかのものだった。古都パリの全貌、とまではいかないものの、一部は垣間見えた。

寺院の周りはモンマルトル地区といっていい感じなのだ。そこから、坂を下っていく。途中ルノワールが描いたカフェ、ムーランドゥギャレットがあった。またアメリに出てくるカフェもあった。大きなアメリの写真が店内にある。その坂を下るとムーランルージュがある。妹とこのあたり来るのは気まずい。

地下鉄で蚤の市へいく。地下鉄を降りるとそこは雰囲気が違った。なんとうか場末という感じ。怪しい売り子がたくさんいる。

人の流れに沿っていくと、露天が並ぶところがあった。お土産から布、がらくた、いろんなものが売っているところを通り抜けると、あった。蚤の市だ。骨董やらなにやらがたくさんある。特に思い出はないが、日本の骨董市と変わらない。古いものはみな価値を帯びる。例えネジ一本でも。そして、なんとなくそれは面白くて見てしまうものの、買うかと言われればいらない。その価値を認識できていないからだ。そんなこんなでお昼を過ぎ、近くのイタリア料理屋でお腹いっぱい食べる。味はまあまあだ。隣のスペイン人の老夫婦がチョコレートくれた。

そのあとまたぐるぐる回って、疲れて帰ることにした。特に何も買わなかった。その後、ポンピドゥーセンターに行く。面白い作品に出会う。例えば、暗闇の中で映写機が謎な映像を流し続けるとか、細い棒がたくさん並んでいて、すごい不安定に見えるとか。まあ、色々である。芸術とは何か、美しいとは何か、そんなことを考えた。

そのあと、バスティーユ近くのスーパーで買い物して帰った。オリーブオイルとペペロンチーノ的な香辛料、塩、パスタ、肉、兄はいなかったので、ごはんにした。ペペロンチーノをつくる。そこで兄が帰ってくる。いままで寝てて、んで洗濯いってきたそうだ。ペペロンチーノはうまかった。お肉もやいて食べた。うまかった。

寝た。

 

ランス6日目

 

起きた。今日は俺が元気なく。朝ごはん食べず部屋でごろごろしてる。昨日食べ過ぎたせいだろう。

その後、11時過ぎにホテルを出て、近くの朝市までバスで向かう。その市場はおととい俺が単独行動のときに自転車で通りがかった市だった。今度は歩いてまわる。露店は果物だらけだ。パリにいて思うのはよく競合しないなということだ。いったいなにが違うのか。

青果市を抜けるとこんどは骨董やら服やら色々うってるところがある。そこをブラブラした。ゆうりちゃんは襟を買ったらしい。

その後、リヨン駅からシャルルドエトワール駅に向かう。外にでるとそこには凱旋門が。そして周りをウロウロして、長蛇の列がある展望台へは行かず、エッフェル塔を目指す。自転車でいく。近くにいくとものすごい人だった。これまた周りをウロウロしつつ、公園でだべりつつ、後にする。ギャラリーラファイエットにいくけれども、やっておらず、バスティーユペティナイフ買いにいくもやっておらず、結局、ホテルの近くの地下鉄でおりた。そこの近くのカフェで遅めのランチをとる。タルタルステーキ食べた。うまかった。ユッケって感じ。食べたことないが。兄はサーモンタルタル。妹はクリームブリュレ。これはものすごくうまかった。ただのクリームブリュレじゃなくて、中に香辛料がはいってて爽やかなくせに後に残る香りがよかった。そのあと兄と俺はデザートもしっかり食べて帰った。あ、コンビニみたいな日曜日でもやってるエスニック系経営の店で、肉とサラダとワインを買って帰った。シャワー浴びたあと調理して食べた。いまおなかいっぱい