わたしはどう生きるか

久しぶりに熱気球のローカル大会に行ってきた。美味しいローカルフードやパーティ、バーナーも握れたので満足ではあったのだが…。

 

どうも気分は最後まで盛り上がりきらなかった。チームのみんなが盛り上がれば上がるほど、冷静になっていく自分がいた。それ自体はいつものことなのだが、冷静になる人間がひとりしかいないと孤独を感じることになる。

 

これはノリの問題なのかもしれない。今回お邪魔したチームでは写真を撮りあったり、お互いを「かわいい」と褒めあったり、過度に楽しそうに見せようとしている(広義の映えとも言える)人たちが一部おり、そのような言動にのっかることができないわたしは、むしろ白けてしまうのだ。

 

本当に興奮したり、楽しいときは「映え」なんて気にしなくなるのでは、と思ったりもする。

 

たしかにそのような人間たちはチームの一部である。ただ、そういうノリで全てが滑稽になってしまうのが悲しい。人目を気にする(あるいはあえて気にしない)文化だ。

 

ただ、やはり少し時間が経つと自分の反省点も見えてくる。もっと自分の感情を言葉にした方がよかったなとか、もっと周りの人に興味ある感を出した方がよかったかなとか、そういう器用さがあればよかったなと。訓練が必要である。ただ、やはり本当にどうでも良いとしか感じない。困ったものだ。

 

自分はどう生きるべきか、そんな古来からある問いをふと思い出した。