親になること

「シスター」という中国の映画を見ていた。

一人っ子政策による社会の歪み、それに人生を左右される女性たちを描いている。

相方と一緒に見ていたが、相方は携帯を見つつ、友人と出産祝いについて話しているようだった。

途中相方は、出産祝いの鼻水吸引機の色は何がいいか、名前スタンプについてくるインクかシールはどれがいいかなどを聞いてきて、心底どうでもいいと感じた。今それを聞くのかと憤りそうになったが、すでにもう向こうの方が怒り気味だったので、思いとどまった。

インクではなくシールにした。

これがひとと生きていくということだと思う。

いずれにしてもシスターは素晴らしい映画だった。心を揺さぶられる。

 

ぼくも第二子ということで放任?愛があまり与えられず?に育った気がする(実際はどうかわからないが主観的な感覚として)。

初めて小学校に通うとき、なにを準備したらいいかわからず誰にも助けてもらえず焦ったのを強く印象として残っている(結局忘れ物が多い児童になった)。また小学校中学年くらいまで髪を洗うのが好きではなく、とくに強制されないのでいつまて洗わずにテカテカと輝いていた(これは兄も同様だったが)。ほかにも体操着は週に1回持ち帰るかどうかだったりもしたし、一年中半袖半ズボンの不潔で季節感のない児童だった。

それゆえかわからないが、割と希死念慮は強かった。毎日が同じように感じ、これがあと何年も続くのかと思うと耐えられなかった。季節感がないからこうなる。日常の生活の中にある面白さや発見、そうしたものを教えてくれたらよかった。なにもなく、物語もなく、ただただ生きてきた。いまでも何かを物語ることは大変苦手だ。   

ただ、いつかは大人になる。社会人のフリも上手になる。

それでも親から離れた場所にいつつ、優しくしてしまうのはいまでも愛されたいと思っているからなのかもしれない。そんな子どもな自分に気づく。