2014年フランス旅行

フランス10日目 最終日


今日は兄が世界選手権のためにヴィシーに発ち、僕と妹は東京に帰る。朝ごはんは一緒にとり、兄は11時にホテルを出た。是非がんばってほしい。他の日本代表の若者たちとうまくやればよいのだが。

僕と妹は21時の飛行機まで暇なので、最後のパリ観光に出る。自転車でバスティーユまで行き、そこから歩きでマレ地区の手前まで行き、そこからセーヌ川沿いに歩き、シテ島の先端にたどり着く。そこに座って行き来する遊覧船を眺めていた。周りにはカップルや昼ごはんを食べに来ているスーツの人などがいた。笹の葉舟にも飽きたところで、ポンヌフを渡り、パッサージュというパリのアーケード街を目指す。色々道を間違えたりしたが、パッサージュをいくつか巡った。とくに何も買わなかった。最後のパッサージュは日本人街的のところにあり、日本語をよく見た。日本人街は本当に日本食の店ばかりだし、道ゆく人もアジア系が多かった。このとき、3時近くだったのでお腹が空いていた。ナシオン駅まで地下鉄に乗り帰る。そこで、近くの大きなカフェに入る。巴里での最後の食事だ。僕は羊肉のステーキを頼む、妹はキャベツの酸っぱいやつの上にサラミやらソーセージやらの肉類がごちゃっと乗っているやつだった。面白かったが、なかなかに食べるのが大変そうだった。しかし、どれもうまかった。かなりお腹いっぱいになりつつ完食し、デザートも頼む。僕のはクレープでオレンジピールが入った甘いシロップに浸してあり、それが熱々のフライパンに乗ってやってくる。それで店員が目の前でブランデー的なのに火をつけ、青い炎がゆらゆらしている状態でふりかけ、かおりをつけ、皿にサーブするのだ。すごかった。うまかった。日本のクレープのなんと単純なことか。妹のはりんごのタルトにホイップクリームが添えてあった。普通にうまい。食べ終わり、ホテルに戻り、預けてあったスーツケースを受け取り、タクシーを呼んでもらう。この一連の作業のための英語がままならない感じに焦りを感じた。これまでの英語教育はなんだったのだろう。イエスとプリーズしか出てこない。

タクシーに乗る。道は混んでいた。とても眠たくてゆうりちゃん共々寝てしまった。はじめ勘でターミナル2に行くように言ったが、行ってみると、ANAはターミナル1だった。タクシーには悪いことをした。というか料金がちょっとかかった。

シャルルドゴール空港で様々な手続きを済ませる。ANAの窓口には日本人だらけであった。免税ショップで持っているユーロと大体同じ金額で葉巻が売っていたので買ってしまった。3本入りなので、友人たちへのお土産にしようと思う。

その後、搭乗口で二時間近く待っていた。そして飛行機に乗り込む。三列席で窓際にはおっさんがいた。外がなにも見えやしない。

 

フランス旅行総括


物語るために総括する。

まず、この旅行は兄妹三人によるものだが、ただ、行くとなってもなかなか計画は決まらなかった。兄貴は特に観光に興味はなく、僕も観光よりもフランスという国に触れることを考えていた。結果、妹がホテルやら計画やらを考えてくれ、10日間のパリ観光が決まったのだ。

兄妹三人の旅行は初めてだった。結果的には何事もなくうまくいったが、なにかというと兄貴2人で妹を馬鹿にしてしまう傾向があったように思う。特に兄妹旅行したからといって特別に何かがあったわけではない。普通に仲良くやっていた。それは表面的であったのかもしれないが。ただ、旅行して思ったのは、やはりこの3人の構造はあまり変わらないんだなということ。妹対兄、弟対兄。

そして、パリ観光である。一番の思い出はなんだろうか、別に一番とか考えなくてもいいのだが、物語的には重要だ。やはりヴェルサイユ宮殿の庭園で昼飯を食べ、ワインを飲んだことだろうか。あるいは、ホテルでの料理。あるいは、パリの街を自転車で駆け抜けた感じ。あるいは、観光客をかもにしようとする軽犯罪者たちとの触れ合い。どれもが思い出になる。

ルーブルもオルセーもオランジェリーも凱旋門エッフェル塔ノートルダムもカタコンブも、全て色々考えさせられて面白かったし、美しかった。ただ、どうしても観るという行為になってしまう。観るという行為の中で主体と客体が真に出会うことは難しい。それなりの準備を見る方がしてなくてはならないだろう。ちと僕には足りなかった。ミロのヴィーナスの前に立っても、いいお尻してるなあとしか思わなかった。全体的にエロチックなことにしか興味が向いてなかった。だからこそエロチズム博物館なんかに行ったのだが。エロチズム博物館も熱海の秘宝館もそうだが、旅とエロは簡単に結びつく。