2014年フランス旅行

ランス7日目


いま、アメリを三人で見ている。今日はかなりゆっくり起きて、11時のギリギリまで朝ごはんを食べていた。そのあと、ギャラリーラファイエットに向かう。ナシオン駅から一本である。もうメトロにはなれた。だから降りるときにハンドルも回すし、止まらないうちに降りることもできるのだ。

ラファイエットに着くと、昨日とは違ってかなり人がいた。中に入るとさらに人が。ラファイエットはデパートだが、三越のようなただの百貨店とは違う。歴史ある百貨店なのだ。だから中央にはドームがあり、美しい壮麗なステンドグラスで彩られている。

その下には化粧品や香水が並ぶ。シャネル、ディオールカルティエ、色々ある。匂いがすごい。とりあえず、エスカレーターで最上階近くにいく。そこはレストランとお土産屋さんと本屋があった。そこで子供向けのアルファベットを覚える学習ポスターを買った。兄は気球の絵が書いてある紙を買っていた。妹には赤いベレー帽を買うように2人で強くすすめたが、結局買わなかった。その後、屋上にも上がれたが、雨が降っていた。エッフェル塔がかすんで見えていい感じだった。両足が切断されて、うまく飛べない鳩がいた。

その後、ラファイエットの別館に行く。紳士服と食料品がある。食料品は日本のデパートと同じようにとても美味しそうに売られている。僕はサラミとオイルサーディンとフォアグラを買った。つよしくんはフォアグラとお茶っ葉を買っていた。いい買い物をしたように思う。その後わかったことだが、サラミなどの肉製品は日本に持ち込めないらしい。2本も買ってしまった。

ラファイエットを後にし、今度は妹が行きたかったホテルドゥビィラ近くの雑貨屋的な食器屋さんに行った。妹はそこでトマト用のナイフを買っていた。そして、近くのモノプリというスーパーでお買い物した。妹はかばんを買っていた。地下の食料品のとこで、実に色々かった。マッシュルームやよくわからないかぶのようなもの、ラディッシュ、マッチェ、サラダなど、ソーセージ、オイルサーディン、肉の塊、ワイン、バルサミコ酢などなど。よく買った。地下鉄で帰った。

ホテルに帰って、調理をはじめる。兄が先頭に立つ。妹はあまり参加しなかった。まず買ってきたよくわからない野菜を刻み、スープの素と一緒に煮込んだ。普通にうまかった。同時にサラダもバルサミコ酢とオリーブオイルであえた。うまかった。次にラディッシュとマッシュルームを炒めて、でも途中から煮込んだ。ただ煮て、塩コショウしただけだったが、これはうまかった。普通にスープだった。

次に、お肉の塊を焼く。すごい厚さだ。鍋でふたをして、オーブンのようにする。とりあえず焼いて、食べてみた。レアって感じ。うまかった!肉の味しかしない!柔らかい!ただ、筋だけは噛み切るのが大変だった。半分くらい食べて、残りをミディアムくらいに焼いてみた。これもまたうまかった。同時にソーセージも焼く。これもまた焼くのに時間がかかった。しかし、かなりうまい。ビールが欲しい。そして、パスタも茹でて、ペペロンチーノにする。これにマッチェをちらす。うまかった。かなりお腹いっぱいになった。そのあと、アメリを観ながらちょっと残ったワインを飲み干した。太りそう。

明日はモンサンミッシェルで早く起きねば。

 

 

フランス8日目

 

今日はモンサンミッシェルのオプショナルツアーに申し込んである。早朝6時45分にパレロワイヤル駅の近くに集合なので、朝ごはんを食べる暇もなく出かけた。

メトロで行く予定だったが、なんとなくヴェリブで向かうことに。昨日の雨で濡れたパリの街は美しかったが、とても風が冷たく寒かった。20分くらいで着く。お店はまだ開いていないのでなにも食べず、集合場所の事務所に向かう。中に入るとすでに日本人たちが幾人かいた。トイレにいって戻ってくるとさらに増えていた。出発である。

バスは二階建て、僕たちは二階の中央後方よりに座った。階段が手前にあるので開放的で窓がよく見えるのである。朝早かったので眠った。途中サービスエリアに寄る。ガイドさんがトイレは混むことは執拗に説明するので、みんなトイレに向かい、結果予言は当たった。僕はそのサービスエリアでレインコートみたいなコートを買った。39ユーロ也。モンサンミッシェルで雨が降ったときのためでもあるし、普通に良さげだったからだ。

サービスエリアを出て、また30分くらいはしると、ブブロン村というフランス有数の美しい村と呼ばれるところに行く。その小さな村は確かに美しかった。村を小川が流れ、入り口には小さな教会が。村の中心にはレストランがあった。40分程度の立ち寄りだったが、僕たちは林檎酒とブブロンという村名物のお菓子を買って食べた。シードルという林檎酒はまるでワインのような、草原のようなそういう風味であった。林檎酒という名のような甘いものではなかった。シードルである。

バスはまた2時間程度走り続け、そのうち一時間はガイドさんが観光上の注意点をながながと話していた。多くの人が寝ていた。だが、その注意点の細やかさにはやはり日本人なんだなと感じざるをえなかった。そして私は日本人のそういうところが嫌いであり、好きである。

遠くなモンサンミッシェルが見えてきた。確かに岩山にごちゃごちゃ建物がついている。あたりにはなにもない。草原とヤギと牛だけである。モンサンミッシェルの対岸にはホテルなどが立ち並んでいた。他にもキャンプ場などがあり、自転車で来る人も少ないことがわかる。バスを降りると昼ごはんを食べる。モンサンミッシェル名物オムレツとのことだ。席に着くとすでにサラダが用意されている。テーブルの真ん中にはパンとバターがあった。バターはこの地方の名産らしい。サラダは簡単なもので、やはりツアーだなと感じた。一度に40人分近い量のコースを作るのは面倒だし、適当になるのだ。チラシにはフルコースとあったが、実際はサラダ、オムレツ、デザートだけである。オムレツは店員が大きな皿に大きなオムレツを持ってきて、それを適当に四等分して自分の皿にサーブしてくれるのだが、もちろん適当なので量には差がでる。僕のは少なかった。少なくなかったのかもしれないが、そう見えたし、すぐ食べ終わってしまった。モンサンミッシェル名物のオムレツはかなりフワフワで、むしろ泡だった。食べた感じがしない。コショウかけて食べるとまあ、卵って感じになる。そんなうまいもんじゃなかった。一緒についてきたポテトをむしゃむしゃ食べた。デザートはりんごのタルトのうえにアイスクリームが乗ったもので、まあ、普通にうまかったけど、なんか手抜き感があるのだ。かつてのイタリアツアーを僕は思い出していた。

デザートを食べると、2時間ちょっと自由時間があら。モンサンミッシェルの島へいくシャトルバスに乗った。バスが通る道と歩く人が通る道とは分かれていた。歩いて島に渡ると40分ほどかかるらしかった。シャトルバスは島の手前で止まる。そこから歩いて島に入る。近くでみると大きい。これは確かに要塞である。百年戦争で活躍したはずだ。僕たちは行きはお土産屋さんをあまり通らないで急な階段など登って行った。疲れるルートだ。しかし、修道院の入り口にすぐたどり着けた。渡されていたチケットで中に入る。いい雰囲気である。やはり戦うためな仕掛けなどがあり、マスターキートンを思い出した。美しい青空が城壁の向こうに見える。中に入ると荘厳な雰囲気だ。ここでどのような人たちがどのような言葉を交わしたのだろうか。ロマンである。修道院の中は意外に広く、食堂や中庭、礼拝堂などを巡った。荷物を持ち上げるための滑車と歯車、荷台が置いてあり、かつては巨大な歯車を囚人たちが動かし、巨大なそりで荷物をうえまであげたようだった。修道院の独特の雰囲気を楽しんだ。そのあとは一時間以上あったので、ゆっくりお土産ものをみながら、郵便局で日本にいる友人に手紙を出した。オルセー美術館で出会った絵葉書だ。若者と老人が荒野の中で朝日を拝んでいる様子だ。神秘的で力強く、希望を感じる絵であった。メッセージには「外に出て、朝日を見なければ!」と書いた。何か伝わればいいなと思う。兄弟三人とも手紙を書いた。兄は長文だったのでおそるく彼女だろう。妹は美大のお友達らしい。

本当はオムレツじゃなくて、海の幸を食べたかったが、時間がなく断念する。帰りのバスは混み混みであった。10分ほど早く着いたので、スーパーでスープの素とお菓子、バケットを買った。夜ご飯かな。

バスがパレロワイヤルに着いたのは9時近く。我々は10時までやってるというスーパーに向かった。そしてその隣に日本料理屋さんを見つけた。疲れていた私たちはふらふらと入っていった。味噌ラーメンと野菜ラーメン、中華丼に焼きそばを頼んだ。どれも味が濃くて、中華丼とかはうまかった。野菜ラーメンはただのしょっぱくてニンニクがきついスープパスタであった。別にまずくはないが。味噌ラーメンも同様で、ニンニクがきつい。あと麺がパスタっぽい。もちもちではなく、つるっとしてて、こしがなく、プルっとした感じだ。焼きそばは普通に焼きそばだった。量が多く、三人でなんとか食べた。ニンニクがきついのである。

そのあと、フランプリでワインとサラダを買って帰った。終わり。明日が最後の晩餐となる。