猫について

 

猫を飼い始めた。

同棲を始めて1ヶ月も経ってないくらいだ。

保護猫団体に2回足を運び、すぐに決まった。ブライアンという雑種のやや長毛の猫だ。積丹に行く途中、古平という小さな港町がある。そこに一年以上いたらしく、他の猫が凍死もしてしまうほどの真冬の雪の中から保護されたという。5月にきたから、ブライアン・メイと名付けた。

 

とても人懐っこく、落ち着いた三歳の雄だった。家に来たその日から頭をすりすりしてきたり、ベッドに入ってきたりした。とても可愛かった。自身の予想を超えて、愛情が注がれた。

 

それから3ヶ月経った。この間に旅行も行ったので一週間ほどはペットホテルだった(旅行についてもホテル帰りの猫についてもそのうち記事を書きたい)。

 

先週、なんとなく以前から話していた二匹目の猫を探しに保護猫団体を訪れた。

いまいる猫、ブライアンは日中に誰も家にいないと言葉通りずっと寝ているのだ。いつホームカメラで見ても寝ている。もう少し寂しくないように、活発になってほしいという意味で二匹目を検討していた。

 

日曜の昼に団体の拠点に行き、夕方には二匹目を連れて帰ってきていた。これには僕も相方も驚いた。二匹目は特に審査もないらしい。

 

二匹目はディーコンという。もとの名はひなたといい、2歳に満たないオスだ。小柄で臆病な性格をしている。積丹の港にいたらしく、最後まで捕まらなかったらしい。納得だ。家に来て以来、シャーシャー言ってひとを近づけず、逃げ回っているからだ。

今日で三日目になるが、状況はあまり変わらない。暗くなると活発になり、動き回ってニャーニャーと鳴く。少しじゃらしで遊ぶこともあるが、明るいと警戒する。餌もあまり食べないので心配している。

 

あまりにもブライアンと対照的で困惑した。ちなみにブライアンの方はあまり関せずといった顔持ちで、通りすがりにくんくんと嗅いだりする程度の絡みだ。これも予想を外した。ブライアン落ち着きすぎだぞ。

 

こんなにも臆病な態度をとられて、なんだか自分の中にある意地悪な心、器の小ささを発見した。良かれと思っておやつを差し出せばシャーシャーされ、猫パンチされる。ちょっと憤慨して、自分もシャーなんて言ってみてしまう。

あるいは、ずっとベッドの下から出てこなければ、引きずり出してみたくなる。相手は小さな猫であり、新しい環境、人間を怖がっているだけなのに。あまりの臆病さにいらいらしてしまうのだ。あと鳴き声と。

 

いままで弱いものをいじめるひとの気持ちはわからなかったが、こういう感情なのだろうか。

人間をいじめたことはないが、猫はいじめそうになってしまう。猫の主体に対する尊敬が足りないのだろうか。

 

ここ数日のこの事実(と仲良くなれないこと)がどうも自分を苦しめている。

 

カップルにおける猫は子どものメタファーとして語られるが、いつか自分の子どもにもイライラしてしまうのだろうか。そもそも子どもはできるのだろうか。さまざまな思いが頭を巡りさらに憂鬱になる。

 

 

 

 

 

追記 9/3

ディーコンとは和解したし、憂鬱もなくなった。不思議なものだ。