熱気球部

全国津々浦々には大学という学校がある。

そのなかには熱気球部ないしサークルを持つ大学が16校ほどあるという。

かつては自作の気球などが流行したときがあり、あるいはバブルでアウトドアが流行したこともあり、物珍しく作られた気球部だが、いまや数えるほどしかない。

いったい彼らは何故飛ぶのだろう。

常々不思議だ。たしかに熱気球活動は面白いものだろう。まだ街が寝静まっている早朝から出発し、日の出とともに活動を始める。風を読み、大地を飛ぶ。登山と同様、自然に対峙するスポーツである。各地で開かれる大会には全国からクラブが集まり、飛び、宴を楽しむ。気球は祭り的、非日常的である。趣味としてかなり完成度が高い。費用はかかるが、ゴルフやヨットほどではない。クラブ単位なので休止もしやすい。天候には左右されるが、だからこそオフシーズンもある。午前には終わるので、午後は観光もできる。ただパイロットは別かもしれない。

以上のように考えてみても、やはり彼らが熱気球部に入る理由はぼくにはわからない。そもそも新しく何かをやるというとき、そこには何があるのだろうか。

自分を変えたい、という思いか。誘われたからか。面白いひとがいたから、これが多い気もする。割合そんなものかもしれない。

結局はひとなのだ。類は友を呼ぶ。再生産されていく。それが途絶えたときどうなるか。再開できるか。いま問われるのはそこだろう。

春にはわかることだ。