春に

 

春は別れの季節だろうか。学部の四年生から一年経つ、3月は2回目だ。

いまの世の中で、春の別れはどれほどリアルに感じられるだろうか。恋人やそういう関係じゃあるまいし、毎日会うわけでもない。そういう人が地方に行くからと言って、今生の別れにはならないだろう。そう感じるには無理がある。

 

生きていればまた会える。この感覚に取り憑かれているのではないか。この感覚が近代の見せる幻だとしてもそれは力強い。実際にネット上では毎日会っているかもしれない。

実際に会うことにどれほど意味があるのか。ネット上で、恋愛、結婚ができる時代である。飲み会だってできるかもしれない。みなスクリーンの前でグラスをかかげている。

 

しからば別れとはなんなのか。目の前からいなくなるということをいかにリアルとして感じれらるかを試されている。ひとは一瞬ではいなくならない。列車ならだんだん遠ざかっていく。老衰なら意識が薄れてゆく。もう二度と会えないかもしれないという想像力だ。

そう考えると、日々出会いと別れの連続である。逆に意味が薄れそうだ。ところがひとはバカではない。悲しむべき場所を知っている。それはどこだろうか。