社会人になる

 

四月より日本の古典的な企業で新卒採用されて働くことになった。ようやく二ヶ月の研修の半分が終わったところだ。あまりにクリエイティブさが不足しているので、ブログを再開したい。日頃の考えごとを書き留めておくことが当分の目標になるだろう。まずは、研修以外において、書くという行為を取り戻さなくてはならない。

 

まずは、社会人になるということを考えてみたい。これは研修の場でもよく使われるフレーズの一つだ。多くの場合、その対義語として「学生」が想定され、また用いられる。

つまり「(もう学生ではなく)社会人になれ」というフレーズがここには込められる。では、ここでいう「社会人」とは?「学生」とは?ほとんどにおいて、具体的な説明はない。

例えば、ぼくは休憩時間に口笛を吹いていたら、例の言葉を言われた。

「学生」は休憩時間に口笛を吹くのだろうか。いや、「社会人」は口笛を吹かないのか?よく会社員は屋上でバレーボールをしていたではないか。いや、こういう反論は意味を持たない。概念の内実を見たところで、そこに根拠はない。概念の使い方において、その使用は根拠を持つ。

 

だからぼくはこういう雑な概念の使い方をする人事の方を好きにはなれないし、こういう人物を人事に任命するこの会社が好きにはなれない。またこういう会社がまだ生き残れる日本の社会も好きにはなれない。

さて、どこから攻めていくべきか。6年前の将来の選択、同じ問題にここでぶつかっている。