カエサルのものはカエサルに

前回の記事以降のイベントを簡単に触れる。

まず、パートナーのつわりは自分の想像以上に辛く大変なものであった。

常に二日酔いみたいな状態らしく、一日中伏せていたし、何もできないと言っていた。こんなにつわりが辛いとは知らなかった。女性には常識なのだろうか、このあたりにジェンダーギャップを強く感じた。

その後、やや小康状態になり結婚式を行なった。辛そうではあったが、何とかやり切ったという感じではある。わたしも動画制作をかなり頑張った。こういう作業は好きだ。

 

結婚式が終わると猟期が始まった。今年は地域が変わったこともあり全然獲れなかった。このあたりの反省は別媒体で書いてあるので割愛する。

 

そしていま猟期が終わり、妊娠も佳境である。

妊娠中にだんだんと伴侶への愛が強くなるのを感じた。不思議な感覚だった。これは父性のような動物的な反応なんだろうか。飲み会から帰るのも少し早くなったし、そもそも飲み会に行く回数も減ったような気がする。書いていてそれだけか?って思うので、ほかにも微妙な変化はあるだろう。

 

そしていまは出産への恐れがある。胎盤の位置が低いため帝王切開になることが決まっているので、そこから来る不安なのかもしれない。また妊娠も後期になると常に苦しそうにしており、子どもを産むというのは命懸けであることがわかってくる。

子どもは楽しみで、色々と名前も考えた。

 

ああ、普通の人間だ。オチもない。最近よく思う。好みが変わってきていると。ふつうの落ち着いたものに惹かれてしまう。これが親になるということなのかもしれない。

 

 

流れゆく先に

 

学生の頃、ひとに流されやすいことを悩んでいた気がする。友人たちと飲みに行き、盛り上がるままに二次会、三次会とはしごしていく。家で彼女が待っていても、なんとなく帰る約束もしてないし、まあいいかなと飲み続け、大抵帰ると怒られるのだ。

 

あるいはひとに愛を告白されるとよく考えずにオッケーしてしまう。相手を悲しませたくない思いでつい言ってしまうが、良い結果は生まない。むしろひどいことになる方が多い。

 

このような八方美人的な、あるいは酔っ払い的な流されやすさを反省してきたのだが、

(考えてみれば、酔っ払いの研究も実存的な問いとしてはこのあたりが起源な気がする)

最近はそんなことを気にも留めなくなった。

 

成長したのだろうか。

頑固と呼ばれることも増えた。自分の意見をしっかり持つようになったと捉えることもできる。嬉しく思う。

 

ただ、周りにひとがいなくなったと考えることもできる。流してくれる人間たちがいなくなってしまったのだ。それは認めざるをえない。ひとりではひとは流されようもない。

 

待て、伴侶がいるじゃないか。もしや伴侶に流されてやしないかと考え、膝を打つ。

流された先にいた伴侶であった。

 

しあわせアフロ田中

 

どうやら子どもができた、、、らしい。

まだ5週目とかなので流れる可能性もあるが、順調にいけば来年の初夏には子どもが生まれることになるという。

 

会社にいる時にLINEで一報を受け取ったのだが、嬉しい報せだと感じた。子どもができたと聞いたときの反応が良くないと女性から責められる話を聞くが、どうやら自分はそうではなかったようで、そんな安心感とともに喜んだのをよく覚えている。

同じくあるある話で、プロポーズを「じゃあ、結婚しよう」と言ってはいけないというが、これをぼくは犯してしまってる。つい言ってしまうものなのだと思う。

漫画「アフロ田中」でもそんな話があった。漫画アプリで毎日1話ずつ読んでいるのだが、アフロ田中も同じく結婚式を前にして妊娠が発覚している。そんな境遇に親近感を覚えつつ、アフロ田中は面白く、常々共感性が高い漫画だなと感じる。あんなにも雄弁に男性の阿呆さを開陳した物語はあるだろうか。最新のエピソードでは子どもが生まれてからの話もある、おそらく参考になってしまうのだろうなと思う。

 

いずれにしても子どもができるというのは不思議な感覚だ。ついに連綿と続く人類という種族に名を連ねてしまった気がする。教育されて国民となるように、それは面白いと感じるものだろう。

夏が過ぎ

 

お盆が終わり、夏の盛りも過ぎた。

ちょうど7月の下旬から新型コロナウィルス感染症を発症しており、2週間ほど休んでいた。

3月より続いていた身体の不調もここに極まれり。

 

ただ極まったのち快方に向かう。肉離れっぽい足の痛みも寝ていたら治っていた。いくらかは後遺症の痰が続いたが、8月を過ぎれば近年では稀な健康的な日々だった。

 

最近は未来のことばかり考える。どこの山に登ろうか、どのビール工場で働こうか、どこに宿を作ろうか。

そして今日は結婚式について伴侶と話していた。気づけば揉めていた。どうもぼくは自分が乗る船には口を出したいらしい。船長でもないのに。

型にはまったものではなく、自由に自分たちらしい楽しい会にしたいだけなんだが、その認識にそもそもズレがあるようだ。みんながやってるようなことをしたいのだ。

 

困ったことだ

鴨川の夕べ

異動により京都にきた。

何一ついいことがない。

環境が変わったせいだろうか、3月以来ずっと身体の調子が悪い。

3月は在宅勤務中に伸びをして背中を痛めた。

4月は久しぶりに気球をして腰を痛めた。

それらが良くなってきた4月末には一週間ほどお腹を壊した。

どちらも良くなってきた頃の5月初めには膝腸靭帯を痛めた。それはまだ続いている。

いずれにしても身体の修復が遅い。困ったことだ。

 

京都は暑いし、虫も多い。

道は狭くて、いつも渋滞している。

ただ、仕事帰りに歩く鴨川の夕べだけは最高だ。

 

幸いにして仕事はあまりなく暇な日々だ。

これを利用しない手はないだろう。

何があるだろうか。

 

勉強?ブログ?Youtuber?

悠久の時を感じられる鴨川で考えたい。

 

指輪

 

結婚指輪を買った。金とシャンパンゴールドの二連で肌に馴染んで見える。少しずつデザインは2人で異なり、完成までに2ヶ月弱ほどかかった。

 

着けていると、なんとも言えない感覚を覚えた。安心感や誇らしさといったものだ。驚いた。

まさか自分がこんな指輪に何かを喚起されるとは思わなかった。意味するところは明らかだろう。結婚というシステムの肯定だ。

 

もちろん、デザインが気に入っているという点も大きいだろうが、それだけではないような気がする。5年前に、単にお気に入りのアクセサリをつけたとき以上のものだ。

 

これがなんなのか、もう少し考えてみたい。

ぼくは結婚に何を求めているんだろうか。

猟期が始まる

今日から北海道では猟期が始まる。今週末にはぼくも少し山に行こうかと思っている。
ただ、そこまで猟欲が盛んというわけではない。なんというか、この猟をしない半年の間にやや鹿を撃つことに対しての畏れがでてきた。

 

狩猟の一年目は、はじめての猟で学ぶことも多く、獲れるたびにに興奮した。自分がどこまでできるかの挑戦心もあった。
いま二年目になり、どのようなスタンスで狩猟を行うのかが自分の中でうまく言語化できていない気がする。もちろん、今年度は前期とは違う山に入ってみたいし、熊も狙ってみたい。そういうささやかな目標はあるのだが、それを支える猟欲が減っている気もする。

 

同棲したら猫を飼ったり、安住してしまったことが影響している気もする。

このあたりはもう少し考えたい。どうせ山に入り、鹿が取れたら、猟欲は高まっていくのだ。