非日常的空間とその記憶

 

 「行くよ」と起こされる。小さい頃に、深夜に出かけるといったらそれは気球に行くことだった。玄関を出るとシンと静まり返っていて、ほかの人たちは寝ているんだろうなと思うと面白かった。と言いつつ、車に乗り込み、後部座席を倒して兄妹と一緒に僕も寝てしまう。車窓に反射する星空を眺めながら。

  早朝、まだ薄暗いうちに渡良瀬に着く。霧が立ち込めている。他の気球の人たちも集まってきていて、アイドリングしている。その霧と排気ガスがまざったなかを兄と一緒に抜け出して、いつもの池に向かう。その池には氷が張っていて、その上で飛び跳ねたり、割ったりしながら遊ぶのだ。ひとしきり遊ぶと気球の時間になっている。

 正直、気球をしていた記憶はあまりない。たまに乗ると、バスケットの足をかけるステップの隙間から外を見ていたくらいである。あるいは身長が伸びると上空から唾ばかり落としていた。朝9時、気球を回収した後、ほこりくさいバンに揺られながら朝陽を浴びているとなんとも気持ちがよく寝られるのを覚えている。

 これがかつての自分にとっての気球だった。非日常的であった。意味合いは少しずつ変わってきているが、いまもその延長線上にあるのだろうか。どうだろう。