2014年フランス旅行

フランス4日目


今日は単独行動の日である。しかし、おきるのがだるくて、結局朝ごはんとかは兄妹と一緒に遅くとり、ホテルを出たのは10時頃であった。近くで自転車を借り、適当にセーヌ川に向かった。リヨン駅を通り、セーヌ川を渡ると、その河岸をズンズンいく。そして、適当なところ、ポンヌフあたりで降りる。途中、アラブ世界研究所に寄った。展示品や展示方法が圧倒的に美しかった。最後にアラブ音楽を五人の奏者がそれぞれの楽器で奏でている五つのスクリーンが合わさったものがあったのだが、五人のうち三人だけしか弾かないこともあるし、一人しか弾かないことがあり、其の間、ほかの四人がボーっとしているのがかなり面白かった。お土産は買わなかった。ところで、欲しいときにベルブのステーションはないもので、あたりをウロウロして探した。河岸には屋台が出ていた。そこでユニークなサイコロを二つ買う。誰かへのお土産だ。

南に向かって歩いていく、どんどん歩く。途中リュクサンブール公園を抜ける。とてもいい公園だった。池で小さいヨットを浮かべて遊ぶ子供たちがたくさんいて、なにかと思ったらそういう商売らしかった。ただ、その中に混じっておじいさんが大きいヨットを操縦しているのが面白かった。

その後、自転車をまた借り、カタコンブの前に着く。長蛇の列だ。ちょうどロータリーを一周している。喉がかわいていたので近くのスーパーで水を買い、並ぶ。あまりに暇なので記録を書いているのである。

結局、二時間半は並んだか。トイレを心配していたが、なんとかなった。フリーセルなどして暇を潰すしかなかった。そして、カタコンブだ。8ユーロ。かなり良かった。まず、螺旋階段をどんどんおりていく。けっこう深い。地下鉄よりさらに深く。そこには、はじめに展示があって、カタコンブの情報が書かれていた。そこらへんはとばした。ズンズン進む。洞窟っぽい感じだ。徐々に寒くなってきた。といっても涼しい程度だが。そして、それが数百mあり、その後、きた!骸骨の山だ。なんというか、本当にはるか昔死んだ人の骸骨が山ほど!あった。頭蓋骨とか大腿骨は思ったよりも重くない。木でできてるみたいだ。おそらく乾燥しきってるからだが。

おっかなびっくり進む人たちがまばらにいて、僕はズンズン進むので、すぐ一人になってしまった。周りが骸骨の山、まるで洞窟の中にいると、ちょっと怖い感じだ。あるブログにおいて、ここに一人で五時間いるの5000ユーロもらっても無理といっていたが、余裕である。そんなんでもないだろう。閉じ込められるのは嫌だが。あまり怖く感じない自分にがっかりしてしまった。感性の問題か。とにかくズンズン進む。途中水が滴る場所などありける。そして終わる。またただの通路を進み、螺旋階段をのぼりのぼり、普通の道に出る。目の前にお土産屋さんがあったが、ドクロばっかりでうんざりした。もう見飽きたのである。

そこから、大きな通りへ出て、メトロの近くの公衆トイレに並んだ。この時点で時計は4時を回っており、ルーブルが6時までだとすると、あまり時間がなかった。トイレを済ませたら、すぐに自転車に乗り、爆走する。今日は自転車と徒歩で移動しようと心に決める。物語的思考である。これが旅を豊かにする。

ルーブルの手前の橋の手前で降りる。急いで、ルーブルまでいき、入り、ミロのヴィーナスを目指す。もうそれとギリシャ彫刻しか見たくなかった。中は暑かった。ミロのヴィーナスにたどり着いたとき、鼻血が出た。暑さからか、ヴィーナスに興奮したのか。両方か。ヴィーナスのお尻などを鑑賞しつつ、ルーブルを去る。どうも僕の頭の中にはエロしかないらしい。ルーブルを出て、パリの北にあるエロチズム博物館を目指す。今度は地下鉄を使おうと思ったが、なんと!フリーパスをきのうのズボンのポケットに忘れていた。仕方ないので、自転車でまた爆走する。しかし、自転車で壊れかけていた。途中で自転車を交換しようとすると、どうもすぐは使えないらしい。二分間だろうか。表示には19時まで使えませんとある。ようわからんし、待つのも嫌なので歩き出した。地下鉄二駅分である。ちなみにいい坂だった。なぜか雰囲気がだんだんすさんでいく。すさむというか、なんというか、わかるでしょ。あの感じ。気付くと前方にムーランルージュの風車が見えてきた。なるほど。そういうことか。やけにマッサージ店が多いはずだ。そして、ムーランルージュの周りにはセックスショップがたくさんあった。観光地ゆえな子連れの家族もいる。どういう会話になるのだろうか。まったく不思議である。僕はエロチズム博物館に入った。ミュージアムパスを出すと、ここは国立じゃないからダメだと言われた。確かにそうだ。笑って6ユーロ払った、展示はかなりユニークだった。ギリシャの壺の赤絵がそれだったり、アフリカの木の人形がそれしてたり、日本の春画もあった。また、セックスビデオをたんたんと流し続けるテレビもあった。不思議な感じだ。エロくない。たくさんのエロい絵画と写真、作品があった。また最上二階は日本の特集だった。さすがである。エロい写真のお土産を買い、博物館を出た。

雨が降りそうだった。近くのスーパーでコカコーラとフリスクを買った。喉をうるおす。このとき、すでに6時半ほどだ。兄妹がどう動いているかわからないので、ホテルに帰ろうと思う。自転車を借りる、と同時に雨が降り出す。まじかよ、爆走する。途中で止む。そして走り続ける。そこからホテルまでかなりの距離があった。しかし、下り坂なのと、自転車専用道路のおかげで、ほぼノンストップで走り続けることができ、なんとか25分後には返すことができた。そこから歩いてホテルの前までいく。しかし、メールの返事がないし、ホテルにまだいなさそうなので、雑貨屋などで、ゲームとかタバコとかのお土産を買い、スーパーで0.4ユーロのフランスパンと山盛りサラダとスモークサーモンと2ユーロのチーズ、あと一番安いワインを買って帰った。全部で10ユーロほどだった。

ゆうりちゃんからメールで、8時に帰るから一緒にご飯食べよう的なことをいってきたが、ちょうど買ってしまったので、その旨を伝え、君たちも買いたまえと言う。ホテルには8時まえに着く。しかし、彼らは8時半過ぎに帰ってきた。そして、ゆうりちゃんへのメールは届いておらず、彼らは初日のカフェで食べる気だった。結局僕はひとりでかなりの分量の夕ご飯を食べた。でも昼飯たべそこねたし、よかった。ワインもうまいし、全部安くてうまかった。サーモンだけは安くないけど。いまはこの食事をとりながら記録を書いているのである。彼らの帰りが遅い。もう22時20分である。彼らにはエロチズム博物館に行ったことは黙っていようと思う。ぼくたち家族はムーランルージュのような町を一緒に歩くことは難しいだろう。

今日はかなり歩き、走った。そこで思うのはパリという街の素晴らしさだ。観光客には面白いだろう。どの路を通っても歴史ある街並み、腐る程あるカフェ、なんでもあり、フランス語が使えなくても簡単に買える。物価だけが難点だが。これと比べて東京の良さはなんなのだろうか。難しい。コンビニと自販機の数ならまさっているが。

 

2014年フランス旅行

フランス2日目

 

起きた。まだ7時だ。夜中に2時くらいにウンコしに起きたから、あまり寝られてないのでないかと思う。しかし、時差ボケかなんなのかわからないが、眠くなかった。兄も同様に起きていた。2人してベッドの中でiPhoneをいじっていた。8時くらいになって、妹が起きたので、ホテルの朝ごはんを食べにいく。もちろんヴィッフェスタイルでパンが七種類くらいあり、卵とソーセージ、ヨーグルト、ハムとチーズなど他、色々あった。イタリアの方がクロワッサンは美味しかったが、固いパンは文字通りフランスの方が美味しかった。小麦の風味が濃いのである。チーズもまたうまい。コーヒーもうまい。それ以外はまあ普通である。明日はゆで卵を食べようと思う。

部屋に戻る。9時くらい。みんなでゴロゴロする。9時半に出ようとなったが、ゆうりちゃんが寒いとか荷物がかさばるとか色々いって、結局出たのは10時過ぎだった。

まず、ナシオン駅に向かう。地下鉄の一週間フリーパスみたいなのを作る予定だったが、ナシオン駅には窓口がないため作れず、貸し自転車でリヨン駅に向かう。リヨン駅はかなり大きく立派だった。中は鉄骨でまさに近代建築といった感である。そこから地下に入り、窓口でフリーパスを買う。言葉は通じなかったが、想いは通じるものだ。そこから、3駅先のシャトレ駅に出る。歩いてシャンジュ橋を渡り、シテ島に入る。ノートルダム大聖堂を見る。んー、壮麗。長蛇の列に並び、意外と時間かからず中に入る。素晴らしかった。ステンドグラスがほぼ南中した太陽を浴び燃えるような色彩をはなっていた。中を一通りまわって外に出る。大聖堂の屋上に上がりたかったが、それには長蛇の列、しかも一向に進まないに並ぶ必要があった。諦めて一本路地に入ったカフェでお昼ご飯をいただく。サンドイッチだ。兄はチキン、妹はチーズ、僕はハムだった。めちゃうまである。ただ、パンの固さに口の中がボロボロであった。そこでジュースと同じ値段の白ワインを飲む。めちゃうまである。

カフェを出ると、今度はセーヌ川の対岸に行き、川を下る。途中でパリ第三大学に接近しつつ、ガイドブックに載っているポストカードの店にいく。ただの文具屋だった。雑誌がものすごくたくさんあった。その前にちょっとした雑貨屋で面白い小物を買った。しかし高かったなあれ。ぼられたわくそ。そこから、パリ学士院をかすめ、ポンデザールを渡り、ルーブル美術館に着く。ガラスのピラミッドの前でたくさん写真をとってから中に入る。他の人もたくさん撮っていた。中に入るにはかなり並んでいたが、ミュージアムパスの人はすいすいだった。人がたくさんいた。一目散にモナリザを目指す。途中ギリシャ彫刻をちょっと見る。途中たくさんの宗教画があり、ウンザリする。どれも似たような構図、登場人物である。いや、本当は違うのだけど、それを見る前提知識や感覚が乏しいのでどれも同じに見えるのである。モナリザは大勢の人に取り囲まれていた。特に見ても感動しなかった。おそらくこれまでに何度もあきるほど見ているからだろう。同様の理由でドラクロワの絵も感動も薄かった。民衆を導く自由の女神は好きな絵だったが、まあ、確認という感じになる。この時点で兄が疲れたと言い始める。帰ることに。ルーブルの地下のお土産屋さんで彼女への服を買う。帰る。

兄は帰ってそうそう寝始める。僕と妹はまだまだ動き足りないといった様子だったので、僕の提案により、パリの郊外にあるヴァンセンヌの城とヴァンセンヌの森を見に行くことにした。

自転車で15分くらいだった。そこから一時間くらいグルグル歩いて見てまわった。細い気と茂みでできた森だった。その中をまっすぐらな道が通っており、そこをランニングする人やサイクリングする人がけっこういた。そして、また自転車に乗って帰ってきた。帰るころには9時をすぎており、スーパーがしまっていたため、また兄がまだお腹が減っていないため、近くのケバブ屋さんでケバブなどを買い、テイクアウトしてホテルで食べた。これがパリのジャンクフードなのだろう。うまかったが、身体に悪そうだ。これで今日はおしまい。妹に対するイライラが蓄積されてきている。

 

 

フランス3日目


昨日と同様に起きたのは7時である。そこからウダウダしつつ、八時半くらいに朝ごはんを食べに行く。まずは、固いパンとチーズとハムを合わせるという王道から攻める。しかして、つぎに食べたことがないのを食べてみる。 ゆで卵、想像通りの味。オレンジジュースにオレンジが浮かんでる汁を飲む。想像通りの味。イチジクの干したの、よくわからん細い実の干したの、そんなうまくない。終わり。

食事の後は、普段よりダラダラゴロゴロして、出発は11時過ぎになった。バスでバスティーユまでいき、そこから通り沿いの市を物色しつつ、バスティーユ広場を通り、マレ地区のUNIQLOへ向かう。市ではマルセイユ石鹸を買った。ほかに彼女のためのiPhoneケースも買うか迷ったが、いいのがないのでやめた。なんか彼女へのお土産ばかり探してる。

UNIQLOは凄まじかった。凄まじくシャレオツである。店は吹き抜けで天井が高く、基本的にガラス張り、中央には煙突があり、それが天に向かってそびえたっている。昔は金細工の工房らしかった。地下にそのような展示物がある。兄がウルトラライトダウンを購入した。そこから歩いて、そして地下鉄でオペラ座に出る。どうもパリの人はタバコをよく吸う。店員が店の軒先がスパスパ、道ゆく人がスパスパ、カフェの隣の人がスパスパ。パリは全面的に禁煙らしいが、喫煙者天国である。

さて、オペラ座である。せっかくなので中を見学する。壮麗、荘厳だった。ピカピカである。お土産屋さんで売ってた良い感じのステッキが4万した。いつか欲しい。

オペラ座の後は、妹のオススメのステーショナリーのお店、ただの土産屋により、自転車でコンコルド広場をとおり、橋を渡り、オルセー美術館の前までいく。近くのカフェで昼ごはんを食べる。クレープだ。僕と妹は卵と何かのハンバーグ。あんまりうまくなかった。兄は3種のチーズが入ったクレープ。チーズはうまかったが、それだけでは物足りなかった。しかし、二人とも満足したようだ。その後、オルセーは21時までやっているので、先にオランジェリーに行く。睡蓮などは美しかったが、ほかの現代的な絵画は、ピカソマチスなどは意味不明だった、いったいどこが素晴らしいのか。理解不能である。いったい誰があれを見れるのか。展示を見ながらそんなことばかり考えていた。ルノアールなど、印象派などは美しいが、キュビズムなどは気持ち悪いだけだし、どこに価値があるのか。

6時、閉館時間までいて、そこからオルセーへ。9時までみる。オルセー美術館は昔の駅舎を改造してあり、かなり凝った作りで、かなり複雑で、面白かった。しかし、広く、巡るのが大変だった。何枚か面白いのをみつけた。近代的な宗教画は魂がこもっていて、つまり、感情がこもっていて、とてもよかった。あとLE BALLOONという作品があった。確かにシルエットは気球だ。

9時になり、ポストカードを買って、帰った。ナシオン駅からホテルまでの間の商店で冷凍ピザとチョコアイスを買って夕ご飯とした。また初日に買ったワインとチーズのお菓子も食べた。

妹に対してイライラしてきた。歩くときにぶつかってくるのはわざとだとわかり、ブチ切れそうになった。また、妹はボディタッチが多い。例え妹といえど、そんな仲じゃないし、触らないで欲しい。特に、他人のカメラに写り込む可能性があるとき、服を引っ張るとか、寒い時に腕をつかむとか。

明日は別行動にした。兄には犠牲になってもらった。

2014年フランス旅行

フランス1日目

 

朝5時に起き、羽田に向かう。羽田の国際ターミナルは新しく快適であった。出国審査などを足早に済ませ、遅めの朝食をとる。日本を離れるのだから、日本っぽいものを、と兄妹はうどん、私はラーメンを食べた。ただのラーメンだったが、かつおの出汁が効いていてうまかった。六厘舎というらしい。

飛行機に乗る。外国人が多い。機長もフランス人であった。やはり離陸の瞬間が一番興奮する。天気は快晴であったので、東京湾や都心、富士山まで一望できた。空を飛ぶというのは楽しい。飛行時間は12,3時間といったところ。映画はあまり面白いものはなかったが、『300』の続編と『ダイバージェント』というSFをみた。まあまあである。

 

機内食は和風のものを頼んだが、すこし塩辛く、量も少ないので、洋風が正解だったかもしれない。しかし、一緒に頼んだウィスキー(シーバスリーガル12年)は最高にうまかった。二杯ほど飲んだ。途中兄妹でiPhoneに入ってる彼女や旅の写真などを見せ合った。兄とその彼女はうまくいっているようだ。よきことなり。到着前の食事は洋風を頂いた。美味しかったが少なかった。サッポロビールを飲んだ。空で飲む酒は美味い。

飛行機から降りると、そこは異国の地、フランスであった。入国審査をすませ、スーツケースを回収する。我々はミュージアムパスが買える窓口を探して浮き足立っていた。何事もなく、兄が英語で交渉し、買うことができた。このときこの旅の中での立ち位置が決まっていた。つまり、兄は交渉、妹は監督、俺は荷物持ちである。なんとも気楽なポジションで安堵した。その後、タクシーをひろい、ホテルへ直行した。相場よりかなり安くホテルまでいけた。

ホテルに着く。カウンターのスタッフは陽気で親しみやすかった。日本からの客が多いのか、簡単な日本語の単語はしゃべった。ホテルには中庭などがあり、趣のある複雑な造形をしていた。難なく部屋まであがる。いい部屋だ。西向きの窓からはエッフェル塔が見える。狭くない、適度なひろさだった。

  荷物の整理などして、一息つくと町に繰り出した。まずはホテルを出て、バスティーユ広場へ向かう。途中の貸し自転車のベリブに登録して自転車で向かう。ちょっと雨も降ってきて、かなり肌寒かったがさっそうとパリの街を駆け抜けた。バスティーユ広場はロータリーになっていて、とくに広場っぽくなかったので、近くのカフェに入った。ごにょごにょと注文で色々トラブったが、なんとかアウトサイドの席でエスプレッソをすすることができた。寒かったので本当はホットワインがよかったが。あまりに寒いので急いで帰った。ところで、このベリブは不良品も多いので借りるときによく見極めなければならない。途中で自転車を返し、ナシオン広場に向かって歩きながら、途中のスーパーでスープの素を購入した。ホテルの部屋にはIHはもちろん、冷蔵庫、電子レンジ、フライパン、包丁、なんでもあった。スーパーで食材を買って調理することができそうだ。兄と僕はワクワクしていた。

そして、ホテルの近くのカフェで夕食をとる。僕はラザニア、妹はフィッシュアンドチップス、兄は魚のフリット、あとワインも頼んだ。これが、どれもうまい。高いこともあるが(ひとつ15ユーロくらい)、さすがフランスだなと。ラザニアは上にモッツァレラチーズのけずったのがかかっていて、このチーズの濃さがちょうどよかった。フィッシュアンドチップスはフィッシュがフワフワで感動した。魚はもう、オリーブと塩だけでこんなにも旨味がでるのかという感じ。ワインもめちゃうまくて、すぐに酔っ払ってしまった。地震かと思った。夕食をみんなで回しながら食べた。満足だった。

帰って、シャワー浴びて、寝た。長い1日だった。

 

メモ帳供養

過去に書いたiPhoneのメモ(日記)を記載する。

 

2012年

もうすっかり葉桜である。この時期は好きだ。

入学式までを振り返ってみやうと思ふ。

まず、入学式の前のつどいだ。

前日に引っ越していたマンションから大学に向かう。人はたくさん。まだ寒く桜は蕾である。

自転車をとめ、芸術館に続く行列に並ぶ。並ぶと気付くがこれは行列でない、サークルの勧誘者達が新入生を取り巻くようにトンネルができているのだ。そこを威風堂々と行進すると、いつのまにか手にチラシの山ができているのだ。薔薇色の学生生活を予想し胸が高鳴る。その後つまらない学生自治会やらの説明を聞き、学科ごとに集まった。其の間にも友達、否知り合いができた。そしてそのまま食堂に移動、157円のカレーライスを食べる。美味しかった。そしてまた教室へ移動し、自己紹介タイムである。ニセイチはここで輝いた。まずホストがいた。既婚で一児の娘の父。人生を楽しむキャバ嬢。夢に敗れた宝塚志望のイケメンな女。頭にリボンを付けたひどくうるさいぶりっこ女。時の会を勧めてくる宗教ちっくな長身男。いつもぬいぐるみを抱えているメルヘン男。こんな奴らの自己紹介を信じた私は馬鹿だろうか。馬鹿野郎だな。

しかし、言い訳をしたい。

新入生であったと。あんなにも簡単に人は騙されるのだなと感服した。

この後、二年生のおごりでファミレスにいったがわたしの卓は最低だった。堪らずスパゲッティをかきこむと店から出た。すがすがしいようで、悲しいようで、興奮してるでもあり、絶望も感じていた。

 


3日に入学式があった。NHKのアナウンサーの講演があり、色々感動したが、もう覚えてない。

この後また学科で集まった。そこでもにせいちは輝いた。

彼らだけ抜粋され自己紹介を改めてしていたのはおかしいと思った。なぜキャラが異様に濃い連中だけくじにあたり、自己紹介するのか。まあ、状況に不信感を抱くことは難しい。俺はくじを引く二年生の心意気だと理解したのだ。

ここでにせいちは増える。長崎出身のキャバ嬢を追いかけて東京に出てきた男とか。

その日は台風なみの暴風雨であった。自己紹介の後、10人ずつの1、2年混合の班で自由行動し、大学の施設紹介をしてもらった、暴風雨の中でね。

各班居酒屋に集合となっていたが、ほとんどの人が濡れていた。そこで、飲み会がはじまった。

すき焼きである。

まあまあ楽しく盛り上がってきたころ、事件は起きた。宝塚志望の女の子とキャバ嬢は開口一番に不穏な関係だったが、どうやら生き方が違いすぎたのだろう、「あなたに私のなにがわかるんですか」と激しい口調がとなりの卓から聞こえてきた。

二年生は二人をなだめながら、大部屋からでた。それに付いてくように何人か出て行った。

場はザワザワである。

俺はニヤニヤである。

いままで、周りの異様な個性に圧倒されて、自分の行く末を案じていたが、このケンカを目にして何故かやる気が湧いてきた。面白い。これなら大学生活も楽しめるだろう、と思ったころ。

あの二人が部屋に飛び込んでくる。いや、もっといる

着ているのは二年生のポロシャツである。

全てが理解できた。彼らはにせいちであったと。

さういえば、そんなことがあると宮武がいっていたなあと苦虫をつぶしたような顔をするしかなかった。

まあ、悪くはなかった、ちょっと感動した。その完成度に。

その後、二年生の怒涛の謝罪タイムが始まった。二年生はどうやらホッとしたようで、とても親しみやすくなっていた。よかった。

テーブルを移動する。

そうしけんの守谷さんとちょっと話し、彼が友達の友達ということが判明。そして彼はとてもいい人であった。兄に似ていた。そうしけんにいくことを決める。

その後グダグダ、暴風雨の中、一年生をどう帰すかの議論が始まる。二次会に行きたかったが、帰ることになり、帰る。

楽しく寝る。

まだ一人暮らしには慣れていない。

2日にだいたいのものは買ったがまだテーブルもなかった。

 

 

 

君たちはどう生きるかという映画

この映画の感想を、あまり他の批評が頭に入らないうちに書いておこうと思う。

 

鑑賞後、Twitterを開くとぼくのタイムラインではあれは宮崎駿を世界の主と考えたり、主人公と考えたりするツイートが散見された。

 

そうなのかもしれないし、ぼくはそんなことは考えなかった。

また母性か、と思った。

ネタバレになるが、

 

主人公の少年はその世界で死んだはずの母親と邂逅する。正確に言えば少女時代の母親なわけだが。

最終的にはその母親に認められる形で元の世界に戻ることになる。

これは「風立ちぬ」で菜穂子さんに「生きて」と言わせたのと同じである。

実際は少女時代の母親にあなたは死ぬけど「生きてほしい」と少年は言い、君は優しいねと返されるのだ。そんな少女がいるだろうか。

いずれにしても主人公の少年は母親(実母の妹である継母)とともに元の世界に帰ってくる。

 

ほかにも少年の周りには女中がたくさんおり、そのひとりは別世界にも登場する。ずっと守られてるんだよな、という感じだ。

 

なんというかまあ、ぼっちゃんの冒険という映画だ。個人的にはあまり好きではない。血筋が鍵になることも含めて、まるでラノベのようだ

 

ただ映像は素晴らしかった。

常に細部を見てしまう。その造形の正しさと美しさに。

 

その意味においても、宮崎駿の総集編としても見る価値はある。

 

 

追記

あの作品に宮崎駿の生きようを重ねようとするのは作品に対しての侮辱だと思う。

ミルク時間は人生を振り返る

子どもが生まれた。

怒涛に生後一月は過ぎていった。夫婦2人で育児をフルタイムで行ったが、それでも寝不足とキツさを感じた。これをワンオペでやるなんて自殺行為に等しいと思う。

 

赤子もひと月経つと外界に慣れてきて肌の張りがでてきて筋力もついてくる。睡眠も3,4時間は寝続けることができるようになる。ようやく養育者はひと息つけるのだ。

 

ミルクをあげてるときもウトウトすることが多かったが、いまは起きてテレビを見ることもできる。ただ、だいたいはテレビはついてないし、姿勢保持のために両手が塞がっているので、考え事をしながらミルクをあげることになる。そしてたまに気づくと人生を振り返ってることがある。

 

人生を振り返るといったが、よく思い出す事柄は決まってしまっている。昔付き合っていたある女性のことが多いのだ。北海道にいたときに1年半くらい一緒にいただけだったが、とても刺激的なひとだった。おそらく出会ったことで人生が変わってるひとのひとりだ。付き合っていなければ、気球をもっとやっていたかもしれない、山登りや狩猟をしていなかったかもしれない。そんな彼女との印象的な思い出が浮かんでは消していく時間がミルクタイムになってしまっている。どうしてなんだろうか。別れ方は最悪で、苦しんだ時期も長かった。いまだに影響から逃れてないともいえる。

 

そんなことを考えているうちに赤さんはミルクを飲み切ってしまう。そうなればまた怒涛のゲップ、寝かしつけが始まり、思い出は頭から消えていく。10年後こんな感じで生きていくんだろうか。まあ、そんなもんなのだろう。不惑の年はいつ来るのか。

カエサルのものはカエサルに

前回の記事以降のイベントを簡単に触れる。

まず、パートナーのつわりは自分の想像以上に辛く大変なものであった。

常に二日酔いみたいな状態らしく、一日中伏せていたし、何もできないと言っていた。こんなにつわりが辛いとは知らなかった。女性には常識なのだろうか、このあたりにジェンダーギャップを強く感じた。

その後、やや小康状態になり結婚式を行なった。辛そうではあったが、何とかやり切ったという感じではある。わたしも動画制作をかなり頑張った。こういう作業は好きだ。

 

結婚式が終わると猟期が始まった。今年は地域が変わったこともあり全然獲れなかった。このあたりの反省は別媒体で書いてあるので割愛する。

 

そしていま猟期が終わり、妊娠も佳境である。

妊娠中にだんだんと伴侶への愛が強くなるのを感じた。不思議な感覚だった。これは父性のような動物的な反応なんだろうか。飲み会から帰るのも少し早くなったし、そもそも飲み会に行く回数も減ったような気がする。書いていてそれだけか?って思うので、ほかにも微妙な変化はあるだろう。

 

そしていまは出産への恐れがある。胎盤の位置が低いため帝王切開になることが決まっているので、そこから来る不安なのかもしれない。また妊娠も後期になると常に苦しそうにしており、子どもを産むというのは命懸けであることがわかってくる。

子どもは楽しみで、色々と名前も考えた。

 

ああ、普通の人間だ。オチもない。最近よく思う。好みが変わってきていると。ふつうの落ち着いたものに惹かれてしまう。これが親になるということなのかもしれない。